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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)10029号 判決

原告 中村弥平

被告 国

訴訟代理人 川本権祐 外三名

主文

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、原告訴松代理人は、

原告は被告に対し

(一)  農林省林野庁所管、前橋営林署経営の天栄村大字湯本経営区経営林班七〇、七一 七二、七三、七四、七五、七九、八〇、八一、八二、八三、六五、六六、六七、六八及び六九を内包する山林(別紙図面中(イ)の部分にしてこの面積二、七一〇町六反歩)は明治三七年第一、二五四号官有林下戻の訴につき行政裁判所が昭和一二年一二月一八日宣告した判決によつて右訴の原告たる福島県岩瀬郡天栄村大字湯本、河田良尾に下戻となりたる福島県岩瀬郡天栄村大字湯本字小白森一番国有林二、八八三町六反歩の一部であること。

(二)  右山林は原告の所有であること。

を各確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め

二、その請求の原因として、

(一)  福島県岩瀬郡天栄村(合併前は岩瀬郡湯本村。以下湯本村と省略する。)大字湯本小白森一番山林二八八三町六反歩はもと官有林であつたところ、明治三七年右湯本村は国に対して官有林下戻の訴を行政裁判所に提起し(明治三七年第一二五四号)、同裁判所は審理の結果昭和一二年一二月一八日「被告ハ原告ニ対シ小白森一番国有林二八八三町六反歩ヲ下戻スベシ」との判決を宣告し、この結果湯本村は下戻となりたる小白森一番の山林の所有権を取得した。

(二)  よつて右判決の執行として当時の農林大臣有馬頼寧の指令により昭和一三年六月六日所管の東京営林局白河営林署により右下戻山林の湯本村に対する引渡が行われたが、右引渡に際し湯本村に引渡されたのは僅かに一七三町歩に過ぎなかつた。(別紙図面中(ロ)の部分が右引渡された地域である。)然るに所管営林署は右引渡を以て前記判決による山林の引渡は完了したと主張して残山林の引渡をしない。

(三)  一方湯本村は右残山林の引渡を待つことなく昭和二四年九月八日右小白森一番の山林二八八三町六反歩の全部を、地上の立木を除外して訴外株式会社東亜鉱業所に売却し、右訴外会社は之により右山林の所有権を取得したが、之と同時に、地上の立木については当時の所有者であつた訴外金沢敏行より之を買受け、こゝに右訴外会社は右山林につき地上の立木を含めてその所有権を取得した。

併しながら、右山林は残地の引渡の完了していない結果全地積についての所有権保存登記は所轄登記所において阻止されたため已むなく右二八八三町六反歩の内、引渡を受けた一七三町歩のみにつき右訴外会社において右湯本村に代位して昭和二六年八月三日湯本村名義に所有権保存の登記をし、後之を登記名義人湯本村の了解の上訴外桑原豊作に売却したが、その余の引渡未了の山林二七一〇町六反歩(別紙図面中(イ)の部分)については土地、立木とも未登記のまゝ依然右訴外会社の所有に属していたところ、同訴外会社は昭和三二年一二月一二日之を原告に譲渡した結果、原告は同日右山林の所有権を取得した。

(四)  而して原告の所有に帰したる右山林は以下に述べる事実から考える時は請求の趣旨記載の山林と解すべきである。即ち

(1)、前記行政裁判所判決の主文に「小白森一番二八八三町六反歩」とあるは当然実測面積と解すべきである。そもそも右行政訴訟は明治三七年一二月二六日訴提起以来昭和一〇年九月一四日に至るまで口頭審問を重ねること二十五回その後二年余の書面審査を経て昭和一二年一二月一八日に判決宣告があつたもので、その間右訴訟の目的物である係争国有林一二筆の各字名及び之に対応する地積の存在については当事者間に何らの争もなく、その間被告より右字地の併合改称や地積の変更増減が主張されたことは一度もなく、従つて原裁判所は之を基礎として下戻地域と下戻地積とを確定したものであることは明らかであるから右は実測地積と解すべきである。

(2)  右行政裁判所判決の理由によると、「古来湯本村において通称河内山を村山と呼称し嘉永四年湯本村が右河内山の内大川崕と、萱輪沢、アカニ沢入までの地域に存在する自然生の槇を松川村の治郎作なる者に金七十両で売却した事実を認め得るが故に、之に該当する地域は湯本村に下戻すべきである。」と説示した後、「検証の結果によるとこの地域は下戻請求に係る山林一二筆の内小白森一番の山林二八八三町六反歩に該当すること当事者間に争いがない。」と説示していること、

(3)  請求の趣旨記載の山林は前に湯本村が小白森一番として引渡を受けたる一七三町歩とその地勢、水流域、生立木の種類樹令等より見て小白森山を中心とする一連一帯の地域であり、その内包する実測地積も亦両者を合算することにより小白森一番の国有森林地積台帳面積と合致すること、

(4)  被告が判決の執行として引渡をした一七三町歩の地域には右判決において下戻理由の根拠となつた地域即ち嘉永四年湯本村が村有林として治郎作に売渡した自然生の槇の伐切地たる大川崕、萱輪沢、アカニ沢入の地域が含まれていない事から考えても右引渡完了地域が小白森一番の全てであると解することは明らかに不当である。之に対して請求の趣旨記載の地域内には右の大川崕、萱輪沢、アカニ沢入の地域が存在する外、往時松川村の治郎作が材木伐切のため建設しありたる作業場の所在地なりと伝えられる場所及び当時同入によつて伐切されたる自然生の槇の伐根等が今尚存在すること、

(五)  尚、行政訴訟記録中の検証調書附属の図面によると小白森一番の地域は前記の引渡を受けた一七三町歩の地域であるかの如くであるが、右図面は係争山林一二筆の境界を確定するために作成されたものでなく、又之に図示されている各字地の境界線は甚だしく正確を欠くから信憑の価値がない。即ち

(1)  右図面は実地の検証に先立ち下戻地域に関する双方の主張を明にせんため当事者をして予め新旧字地の地名及び所在位置を図示せしめたもので之によつて各字地の境界を確定するために作成されたものでないことは明らかである

(2)  行政裁判所判決の理由には旧字大川崕、萱輪沢、アカニ沢入(通称テトミノ沢)の地区は字小白森一番の地域内に存在すること当事者間に争いないと判示してあるに拘らず、右図面には右地域が字小白森一番の境界線外に置かれて居る。

(3)  小白森一番の公簿面積は二八八三町六反歩であり、二俣一番のそれは四六六町六反六畝二〇歩であつて、その比較は六対一強であるに拘らず、右図面によると逆に一対六強に図示されて居り、その他の各字地について見るも境界線が各字地の地積台帳面積と一致しないものが多い。

(4)  その上右図面は検証調書附属の図面に過ぎず、判決附属の図面でないから之に図示する境界線は当事者を覊束する効力を持たない。

(六)  よつて、請求の趣旨記載の地域が前記行政裁判所の判決により湯本村に下戻となりたる小白森一番の山林の一部であること並に右地域が原告の所有に属することの確認を求める為に本訴に及んだ。

と述べ、

三、被告指定代理人は主文同旨の判決を求め、

四、答弁として、

(一)、原告主張の二の(一)及び(二)の事実は認める。

(二)、原告の二の(四)の主張に対して。原告は請求の趣旨記載の山林が小白森一番の一部である旨の主張をするが、小白森一番の実測面積は二八八三町六反歩ではなく一七一町二畝二九歩に過ぎず、右地域は行政裁判所の判決の執行として既に引渡済であつて、請求の趣旨記載の山林は小白森一番以外の土地である。即ち

(1)、原告は右原告主張の第一の根拠として、行政裁判所の判決主文に「小白森一番国有林二、八八三町六反歩」と表示されて居り、右は実測面積と解すべきであると主張するが(二、(四)、(1) の主張)、右主文は以下述べる理由によつて右の様に表示されたものであつて、実測面積を現すものではない。

a、右行政訴訟において小白森一番の面積が実側されたことはなく、右主文の面積の表示は係争土地を地番の表示と相俟つて特定せしめるために右訴訟の訴状記載の面積をそのまゝ援用したものに過ぎない。而して右訴状の記載は所轄営林署に保存されてある「国有林の地籍に関する旧記録」(以下単に「旧簿」という。)の面積及び国有森林地籍台帳(以下単に地籍台帳という。)の旧簿面記事欄記載の面積と一致するところからすれば、右旧簿面の面積をそのまゝ籍りてきたものと認められる。

一般に判決主文は抽象化された結論のみが記載され、その具体的な意味内容は主文の記載それ自体からは明らかでなく、判決書の事実と理由との各記載を参照してはじめてその具体的な意味内容を明らかにすることができる。本件行政裁判所の判決主交の「被告ハ原告ニ対シ小白森一番国有林二八八三町六反歩ヲ下戻スベシ」なる記載もそれ自体からは一義的にその具体的な意味内容を明らかにすることはできない。よつて之を明確にするためには判決の理由をも検討する必要があるが、右判決はその理由欄において「河内山ハ原告ノ村山ト称シタルモノナルコト並ニ嘉永四年中右河内山ノ内大川崕、萱輪沢、アカニ沢入迄ノ地域ニ於ケル生産物ト認ムベキ自然生ノ旗ヲ代金七十両ニテ松川村冶郎作ニ売却シタルコト」を認定し、この「槇ヲ売却シタル区域ニシテ原告請求地ニ該当スルコト明確ナル部分ニ付テハ原告ニ所有ノ事実アリタルト為ス」べきものとし、進んでこの「区域カ原告請求地ノ何レニ該当スルヤヲ按ズルニ検証調書中ノ該当認否一覧表ニヨレバ該区域ガ請求地中ノ小白森ニ該当スルコトハ争ナシト雖もソノ他ノ請求地ニ該当スル部分ノ範囲ハ明確ナラサルヲ以テ結局小白森ニ付テノミ所有ノ事実アリタルモノト為ス」とし「主文ノ如ク判決」されているのである。

而して右理由中の「該当一覧表」とは右事件の原告においてその請求にかゝる各山林について所有の事実あることを証するため提出された甲第一乃至第七号証、同第九号証、同第一〇号証、同第一二号証の二(その作成は何れも旧幕時代)に記載された旧字又は旧称の区域が現字で表示される区域のどこに該当するかについて当事者の主張を一覧表に整理記載したものであり、この現字の所在地及び区域については検証調書中の検証図において明らかにされて居りこの検証図の記載については当事者間に「凡テ争ナシ」とされて居る。

従つて右判決はその主文の「小白森一番国有林二八八三町六反歩」の区域を右検証図記載の小白森一番の区域としていることは明らかである。尤もその実測面積が幾何であるかについては右判決は之にふれず、その他右事件の記録上からもその面積が実測された形跡はないけれども既に区域、範囲が明らかにされている以上敢てその実測面積を求める要はないから、右判決主文表示の面積は単に本件土地の特定方法として原告主張にかゝる訴状--従つて旧簿面記載の面積をそのまゝ記載したものに過ぎない。換言すれば、右判決において本件土地はその所在場所と訴状--従つて旧簿面記載の面積とで一応特定され、そのより具体的な区域、範囲は検証図の記載により明らかにされているのであるが、たゞ判決主文においてはその表現の技術上、所在場所と旧簿面記載の面積とが記載されているに過ぎない。

b 右の様に右判決主文表示の面積は結局旧簿面記載の面積が係争土地特定の方法として記載されているに過ぎないものであるが、右の旧簿面記載の面積二八八三町六反歩は本件土地の実測面積を現すものではない。

国有林の地積に関する取扱が比較的整備されるに至つたのは明治三九年九月二一日農商務省令第二七号国有林野台帳規程の制定を俟つてであるが、この規定によるも国有林の面積は必ずしも実測の上記入すべきものとはされて居らず、明治四三年五月林発第二六七九号山林局長通牒「国有林野地籍台帳整理手続」が発せられるに及んで「地籍台帳ニ依リ直ニ管理林野ノ実測面積ヲ明瞭ナラシムル」ため、「地籍台帳ノ面積ヲ実測面積ニ訂正スベ」きこととされ、茲に地籍台帳記載の面積は実測によるべきこととする建前が確立されるに至つた。而してこの頃から国有林管理の便宜上、山林の地形・地勢等に応じた一団の山林を単位とし之に字名を附する取扱いがなされ、このため必要な場合は関係市町村の小字の合併統合乃至改称の手続がとられたので、地籍台帳もこれに応じた編成がなされ、その単位字(団地)ごとの面積が記載されることとなつた。

これを本件について見るに字小白森一番をはじめ、同二俣、同セミ、同上野、同大沢、同鍋山、同西平、同東平、同蟻之戸護及び上河内各一番所在の国有林を一団地とし、右各小字を合併統合し、新に「字二俣一番」なる字名が附され明治四〇年一一月二六日には右新「二俣一番」の「周囲測量」が実施され、之に基き該面積を実測した結果、二四九五町三反六畝であつたので、その頃地籍台帳にも該面積が記載されることとなつた。従つて営林当局としてはこの新字(団地)に内包されることとなつた旧各小字の面積等を確定することはその必要がないので現在に至るまで被合併各小字の面積を実測し、或いはその境界を確定した事実はない。 (尤も小白森一番については前記行政裁判所の判決に基き湯本村に引渡す際実測したところその面積は一七一町二畝二九歩であつた。)たゞ地籍台帳には被合併各小字に関する若干の記載があるが、これは当該新字(団地)の沿革を参考までに記載してかく意味で旧簿面上の記載を登記したものにすぎない。

右二俣一番の地籍台帳にも「旧簿面」の「面積」として「一四、九九〇町八反三畝一六歩」なる記載があり、更にその内訳として旧小字ごとの面積が表示されているが、これによれば小白森一番は二八八三町六反歩と記載されている。

この旧簿が具体的にいかなる帳簿書類であるかは明確ではないが、所轄営林署の保存にかかる国有林の地籍に関する記録として比較的整備されている明治二一年作成の「森林地取調書」が恐らくこの旧簿に該当するものと思われる而して右調書は関係村当局が村内各小字ごとの国有林の面積を所轄県知事宛届出で之に基いて作成されたものであるけれども、村当局の該届出は実測に基くものではなく、恐らく単なる目測か或いは旧藩以来の伝承によるものとしか考えられない。

以上a、bにおいて説いた様に前記行政裁判所の判決主文の「小白森一番国有林二八八三町六反歩」の表示は単に係争土地特定の為に旧簿面の記載面積を援用したものに過ぎず、小白森一番の実測面積を現すものではない。

(2) 、次に原告は行政裁判所の判決理由において、大川崕、萱輪沢、アカニ沢入の地区は小白森一番の地域内に存在すること当事者間に争いがないと説示してあるが、請求の趣旨記載の地域には右各地区が存在する上、往時冶郎作の建設した伐木作業場や同人によつて伐切されたる槇の伐根が今尚残存することを以て請求の趣旨記載の土地が小白森一番の一部に相当するとの主張の根拠としている(原告の二、(四)の(2) 及び(4) の主張)。しかし、右は判決の明らかな誤解に基く主張である。即ち判決理由においては、松川村治郎作に自然生の槇を売却した区域と請求地とを比較対照し、この区域が各請求地の何れに該当するかを検討し、結局小白森のみがその区域内にあることが認められ、その余の請求地についてはどの部分が右区域内にあるかその範囲が明らかでないから結局小白森についてのみ所有の事実があつたものと認めるとしているのである。換言すれば、右「区域」は請求地小白森のみならずその他の請求地にも跨つているのであるが、たゞその余の請求地に跨る部分はその範囲が明らかでなかつたことから結局その部分についてのみ請求が是認されなかつたのである。このことは判決理由において引用されている「該当認否一覧表」によつて一層明らかになる。即ち之によれば前記「区域」が請求地小白森のほかその他の請求地の或る部分に跨ることは当事者間に争いないが、その位置、範囲等が不明となつているのである。

右に反し原告は松川村治郎作に槇を売却した「区域」がすなわち小白森一番であると認定されたとしているのであるが、右が判決の誤読であること明らかである。従つて今更かつて治郎作に槇を売却した区域を確定することは全て無益である。又この区域又は請求の趣旨記載の地域が小白森一番と呼称された事実は旧藩以来全然なかつたし、請求の趣旨記載の地域内には小白森一番以外の多くの旧小字が含まれているのであつて、このことは今尚地元民がその小字名を以て呼称していることからも明らかである。

(3) 、請求の趣旨記載の土地が小白森一番の一部であるとの原告主張の根拠は以上の様に誤りであつて、請求の趣旨記載の土地は小白森一番以外の土地である。

即ち右地域は小白森一番以外の次の様な旧小字に該当するものである。即ち、二俣一番、鍋山一番、西平一番、大白森一番、東平一番、上河内一番、下河内一番、蟻ノ戸渡一番、穴沢一番、大沢一番、及び鎌房山一番の一一筆(字)がそれである。

このことは所轄登記所の「字切地図」と対照すれば明らかなことである。又請求の趣旨記載の地域内には数多くの民有地があり、その字地番からも原告主張の地域全体を小白森一番と称することのいかに不自然なるかゞ分る。更に又旧各小字の明確な境界こそ判然しないが、その所在場所、主たる目標物については今尚地元村民共通の知識として遺されている。

以上の如く請求の趣旨記載の土地を小白森一番の一部なりとする原告の主張は理由がない。

(三)、原告の二の(三)の主張に対して。

原告が請求の趣旨記載の土地の所有権を取得したとの主張を否認する。

原告は本件土地を昭和三二年一二月一二日株式会社東亜鉱業所から譲受けその所有権を取得したと主張し、又右東亜鉱業所は昭和二四年九月湯本村から之を譲受けたと主張する。

しかし湯本村が昭和二四年九月五日付で売渡した土地は「福島県岩瀬郡湯本村大字湯本字小白森一番、土地面積二八八三町六反歩、但し農林省から引渡を受けた現在面積の三分の二」である。湯本村としては「農林省から引渡を受けた」土地(小白森一番)以外の土地を売渡す権利も又その意図もなかつたのであつて、右の面積の表示は前述の旧簿面上の面積である。原告は湯本村が農林省から引渡を受けた土地以外の土地を譲受けたと主張するのであるから結局架空の土地を譲受けたことになる。

尚、湯本村が昭和二四年九月五日小白森一番の土地を売渡した相手方は金沢敏行であり、同人と東亜鉱業所との間に何らかの法律関係があつたと見え、同人から湯本村に対し自已の買受けた土地につき登記又は公正証書の作成は直接湯本村と東亜鉱業所との間に為され度い旨の要請があり、湯本村は之を容れて甲第四号証の如き公正証書が作成されたのである。たゞ右公正証書においては目的土地の表示として単に旧簿面上の面積が表示されているに止まるが、その目的土地が金沢の買受けた土地以外のものでありうる筈はなく、右面積の記載は目的物特定の一方法であるに過ぎない。

証拠〈省略〉

理由

福島県岩瀬郡天栄村(合併前は岩瀬郡湯本村。以下湯本村と省略する。)大字湯本小白森一番二、八八三町六反歩はもと官有林であつたところ、明治三七年右湯本村は国に対して官有林下戻の訴を行政裁判所に提起し(明治三七年第一、二五四号)、同裁判所は審理の結果昭和一二年一二月一八日「被告ハ原告ニ対シ小白森一番国有林二、八八三町六反歩ヲ下戻スベシ」との判決を宣告したことは当事者間に争いがない。

原告は「右判決により湯本村に下戻となつた小白森一番二、八八三町六反歩は実測面積を示すものであつて、右は別紙図面中(イ)及び(ロ)の部分に該る。」と主張し、之に対し被告は「右は実測面積を示すものではなく、単にその所在場所を特定するために旧簿面記載の面積を引用したに過ぎず、右地域は別紙図面中(ロ)の部分に該る。」と主張するから、以下この点について判断する。

凡そ判決の主文は簡潔に訴訟の結論を示すものであつて、時としては主文自体において訴訟物が一義的に明確に記載されていない場合がある。かかる場合は主文のみならず、之に加えるに判決理由中主文のよつて生ずる部分を綜合して簡潔な主交の意味するところを確定すべきものと解すべきである。而して本件の場合は前記行政裁判所の判決の主文は単に「被告ハ原告ニ対シ小白森一番国有林二、八八三町六反歩ヲ下戻スベシ。」と記載されているのみで、右が実測面積を示すものか否か、右が如何なる地域を指すのかについては触れる所がないのであるから、右判決主文の意味を明確にするためには右主文及び判決理由中主文のよつて生ずる部分を綜合して之を決する必要がある。

各成立に争いのない甲第二号証、甲第八号証の一、二、及び乙第六号証を綜合すると、

(一)  前記行政事件において原告たる湯本村は本件の小白森一番の外に、二俣一番国有林四六六町六反六畝二〇歩、鍋山一番国有林二〇八町四反一六歩、西平一番国有林一、三〇二町歩、東平一番四、九八六町六反六畝二〇歩、蟻ノ戸渡一番国有林一、六二三町三反八畝一〇歩、下河内一番国有林一、九七二町七反五畝二〇歩、上河内一番国有林二、二八七町五反歩、穴沢一番国有林二〇七町三反九畝歩、穴沢二番国有林三〇〇町歩、大白森一番国有林四四七町四反八畝歩、鎌房山一番国有林四九八町四反八畝歩の下戻を請求し、行政裁判所は之に対し、小白森一番については湯本村に所有の事実ありとして右請求を認容し、その余については所有の事実ありと認めるに足る証拠はないとして棄却したものであること。

(二)  而して右判決理由によると、小白森一番について原告の請求を認容したのは、検証調書中の該当認否一覧表によると松川村治郎作に自然生の槇を売却した地域は小白森一番に該当し、従つて原告に所有の事実があつたとの理由であるから、検証調書中の該当認否一覧表は右判決主文特定の資料に供することができる。而して検証調書はその附属図面を含めて一体の文書と解すべきであつて、従つて検証調書中の該当一覧表のみを判断の資料に供したと認めるべき特別の事情の認められない右判決の場合は右検証調書を全体として判断の資料に供したと認めるのが相当であるから、右検証調書は全体として右判決主文特定の資料に供することが出来るものと解すべきである。

(三)  而して右検証は右事件の原告が提出した参謀本部陸地測量部図面を一万二千分の一に拡大したる図面を基本とし、第一に右図面に現在の字及びその地域を記入し検証調書附属図面を作成したところ、右については凡て当事者間に争いがなかつた。次に右図面に基き右事件の原告においてその請永にかゝる山林につき所有の事実あること証するため提出された右事件の甲第一乃至第七号証、第九、第十号証、第十二号証の二に記載された旧幕時代の旧字又は旧称の区域が現字て表示される区域のどこに該るかについての当事者の主張を明確にし一覧表に記載することによつて為されたものである。従つて右事件の当事者間においては右事件の原告が下戻を請求する小白森一番外十一筆の土地の範囲は右検証調書附属図面の通りであることは全く争いがなく、従つて行政裁判所も右を当然の前提として前記判決を言渡したと認めるのが相当であること。

以上の事実を認めることができ、右事実によれば湯本村に下戻となつた小白森一番国有林二、八八三町六反歩は実測面積を示すものではなく、前記検証調書附属の図面中その表示の部分、従つて本判決附属図面中(ロ)の部分であると解すべきである。

原告は「右の様に解すると、前記行政裁判所の判決は湯本村が松川村治郎作に槇を売却した地域を以て下戻の理由にして居るに拘らず、右地域に該当する旧字大川崕、萱輪沢、アカニ沢入は小白森一番に含まれないことになる。」と主張する。小白森一番の地域を右の様に解すると右地域内に、大川崕等の地域が含まれないことになることは明らかであるけれども、成立に争いのない甲第二号証によると、前記行政裁判所の判決は槇を次郎作に売却した地域のすべてを湯本村に下戻したものではなく、右売却地域と右事件の原告の請求地とを比較検討し、小白森一番は右売却地域内にあることが認められるが、その余の請求地についてはどの部分が右売却区域内にあるかその範囲が明確でないからとの理由で、結局小白森一番についてのみ湯本村の請求を認容したものであることが認められるのであるから、前記行政裁判所の判決の当否を争う場合は格別、本件の場合においては大川崕等が小白森一番の地域内にないことは前記認定の妨げとならない。

以上説示の通り小白森一番が本判決附属図面中(ロ)の部分に該ると解すべきである以上、原告の本訴請求はその余の争点を判断するまでもなく失当であつて棄却を免れない。訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 花淵精一 浜田正義 水谷富茂人)

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